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東京地方裁判所 平成5年(ワ)21736号 判決

主文

一  被告は原告に対し、別紙第一物件目録(1)ないし(3)記載の各土地につきなされた別紙登記目録(1)記載の始期付所有権移転仮登記の各抹消登記手続をせよ。

二  被告は原告に対し、別紙第一物件目録(4)及び(5)記載の各建物につきなされた別紙登記目録(2)記載の始期付所有権移転仮登記の各抹消登記手続をせよ。

三  被告は原告に対し、別紙第二物件目録(1)記載の預金証書、同目録(2)及び(3)記載の各預金通帳、同目録(4)記載の印鑑、同目録(5)記載の鍵、同目録(6)ないし(9)記載の各位牌を引渡せ。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  原告の請求

主文同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1 被告は原告の二男である。昭和五八年、原告は被告と同居を開始したが、その後、原告は病気のため入退院を繰り返し、昭和六三年一一月に、被告方を出て、東京都品川区《番地略》(別紙第一物件目録(5)記載の建物)に転居した。

2 原告は、別紙第一物件目録(1)ないし(3)記載の各土地(以下併せて「本件土地」という。)及び別紙第一物件目録(4)及び(5)記載の各建物(以下併せて「本件建物」という。)の所有者である。

本件土地には、被告を権利者とする別紙登記目録(1)記載の始期付所有権移転仮登記がなされており、本件建物には被告を権利者とする別紙登記目録(2)記載の始期付所有権移転仮登記がなされている(右各仮登記を併せて「本件各仮登記」という。)。

3 原告は、別紙第二物件目録記載の預金証書、預金通帳にかかる預金者であり、同目録(1)記載の預金証書、同目録(2)及び(3)記載の各預金通帳(同目録(1)ないし(3)記載の預金証書、各預金通帳を併せて「本件預金通帳等」という。)、同目録(4)記載の印鑑(以下「本件印鑑」という。)の所有者である。

原告は病気で入退院を繰り返していたため、本件預金通帳等及び本件印鑑を被告に預けた。

4 原告は、別紙第二物件目録(5)記載の鍵(以下「本件鍵」という。)にかかる貸金庫の借主であり、乙山信用組合より本件鍵の貸与を受けているものである。

なお、右貸金庫は株式会社丙川コーポ名義であるが、原告が借り、原告がその料金を支払ってきたものである。

5 原告の夫甲野太郎は、昭和五七年一一月一日死亡したが、原告は太郎から甲野家の祭祀を承継し、別紙物件目録(6)ないし(9)記載の各位牌(以下併せて「本件位牌」という。)の所有権を取得し、その引渡を受けた。なお、同目録(6)記載の位牌は原告の夫の父の、同(7)記載の位牌は原告の長女の、同(8)記載の位牌は原告の夫の母の、同(9)記載の位牌は原告の夫の位牌である。

本件位牌は、いずれも被告方にある。

二  原告の主張

1 仮登記抹消登記手続請求について

(1) 原告は被告に対し、本件土地及び本件建物を死因贈与したことはない。

(2) 仮に死因贈与の事実があったとしても、原告は被告に対し、平成五年九月三日付け通知書をもって、右死因贈与を取消す旨の意思表示をした。右意思表示は同月四日に被告に到達した。

(3) よって、原告は被告に対し、本件土地及び本件建物についてなされた本件各仮登記の抹消登記手続を求める。

2 本件預金通帳等及び本件印鑑の引渡請求について

(1) 原告は被告に対し、平成五年九月三日付け通知書をもって、本件預金通帳等及び本件印鑑の預託を解除し、それらの返却を求める旨の意思表示をした。右意思表示は同月四日に被告に到達した。

(2) よって、原告は被告に対し、本件預金通帳等及び本件印鑑の引渡を求める。

3 本件鍵の引渡請求について

(1) 原告は、本件鍵を被告に預けた事実はない。仮に預けた事実があるならば、本訴状をもって右預託を解除する。

(2) よって、原告は被告に対し、本件鍵の引渡を求める。

4 本件位牌の引渡請求について

(1) 原告は甲野家の祭祀承継者であり、本件位牌の所有者である。

(2) 原告は被告に対し、平成五年九月三日付け通知書をもって、本件位牌の引渡しを求め、右通知書は同月四日に被告に到達した。

(3) よって、原告は被告に対し、本件位牌の引渡を求める。

三  被告の主張

1 仮登記抹消登記手続請求について

(1) 平成三年一二月六日、原告と被告は、原告方において、本件土地及び本件建物について左記内容の負担付死因贈与契約(乙一号証)を締結した。

(なお、乙一号証の合意書中の原告の署名は自署であり、原告の押印は原告自身が実印を用いて行ったものである。被告の署名押印は、当時被告がカリフォルニア州に滞在していたため被告の妻の甲野春子が行ったものである。)

〈1〉 被告は原告に対し、死因贈与契約時より原告の在世中、責任をもって原告を介護する。

〈2〉 被告が原告よりも先に死亡した場合には、原告は被告の相続人に本件土地及び本件建物を死因贈与する。

(2) 原告の被告に対する右死因贈与契約を取消す旨の意思表示は無効である。

〈1〉 死因贈与契約において民法五五四条により準用される遺贈の規定には民法一〇二二条の取消についての規定は含まれない。

〈2〉 仮に、死因贈与契約において民法一〇二二条の取消についての規定が準用されるとしても、本件のような負担付死因贈与契約において負担の一部が履行されたような場合には当事者間の公平、信義則上、死因贈与契約の取消は認められない。

被告は原告と同居後、夫婦で、平成五年七月までの間、原告の下の世話、身の回りの世話をし、原告の入院中は、多数回にわたって原告に面会し、着替えの支度、ケースワーカーや担当医と症状改善のための方策の協議をして原告の介護をし、それ以降は原告の財産管理行為を行っており、負担の一部を履行している。

(3) 本件預金通帳等及び本件印鑑の引渡請求について

本件預金通帳等及び本件印鑑の保管は、被告による原告の財産管理行為であり、本件負担付死因贈与において定める負担の履行の一部である。

負担付死因贈与契約の取消が無効である以上、預託の解除は無効であり、被告は本件預金通帳等及び本件印鑑の引渡義務を負わない。

(4) 本件鍵の引渡請求について

被告による原告の介護の一内容であり、本件負担付死因贈与において定める負担の履行の一部である。

負担付死因贈与契約の取消が無効である以上、預託の解除は無効であり、被告は本件鍵の引渡義務を負わない。

(5) 本件位牌の引渡請求について

被告による原告の介護の一内容であり、本件負担付死因贈与において定める負担の履行の一部である。

負担付死因贈与契約の取消が無効である以上、被告は本件位牌の引渡義務を負わない。

四  争点

1 負担付死因贈与契約の成否

2 負担付死因贈与契約の取消の可否

第三  争点に対する判断

一  死因贈与契約の成否について

1 被告は、平成三年一二月六日、原告と被告との間において本件土地及び本件建物の死因贈与契約を締結するにあたり合意書(乙一号証)を作成した旨主張する。

右合意書(乙一号証)の原告名下の印影が原告の印鑑(実印)であることは原告も平成六年三月二日付け準備書面(第二回口頭弁論期日において陳述)において認めるところであるが、原告は、押捺の事実を争い、かつ、合意書(乙一号証)の原告の署名についても自署でない旨主張し、原告本人尋問の供述にも、右主張に沿う部分がある。

しかしながら、原告本人の記憶自体必ずしも明確でないところがあること、証人丁原松夫の証言によれば、合意書(乙一号証)の原告の署名は原告の自署であり、原告の印影は被告の妻の甲野春子が押捺した旨証言していること、丁原松夫は、合意書作成の一年くらい前から、被告夫婦に世話になっているので原告の財産を被告の方に移せないかとの相談を原告から受けていた旨証言していること、これら証言は具体的で信用性が高いものといえることから、前記原告本人の供述部分はただちには措信しがたいものといえる。

2 一方、《証拠略》によれば、原告は、夫甲野太郎が、昭和五七年一一月一日に他界したあと、一人暮らしをしていたが、被告夫婦に引き取られ、昭和五八年一二月二〇日から横須賀市の被告方で被告夫婦と同居するようになったこと、原告は病院への入退院を繰り返すなど健康状態は必ずしも良くなく、身の回りもそれほど構わない性格のため、被告の妻は、原告の世話に追われるような状況であったこと、原告が入院中は、被告の妻は、病院に食べ物や衣類を届けたり、原告の症状について相談に行ったり、献身的に介護したこと、原告が被告方を出たあとも原告は被告の妻の世話を受けていたことが認められる。

このような状況下において、原告が、世話になり続け、今後も世話になるであろう被告の妻のことを慮って、本件土地及び本件建物を被告に死因贈与しようとの意思を抱いたとしても何ら不自然なことではないといえる。

3 以上のことから、合意書(乙一号証)は、原告の意思に基づき真正に成立したものといえる。

二  死因贈与契約の取消の可否について

1 原告は被告に対し、平成五年九月三日付け通知書をもって、右死因贈与を取消す旨の意思表示をした。右意思表示は同月四日に被告に到達した。

おもうに、民法一〇二二条は、負担の付かない死因贈与に準用されるものと解すべきであり、死因贈与契約において民法五五四条により準用される遺贈の規定には民法一〇二二条の取消についての規定は含まれないとする被告の主張は採用できない。

もっとも、負担の履行期が贈与者の生前と定められた負担付死因贈与契約に基づいて受贈者が約旨に従い負担の全部又はこれに類する程度の履行をした場合には、贈与者の最終意思を尊重するあまり、受贈者の利益を犠牲にすることは相当でない。そのような場合には、死因贈与契約締結の動機、負担の価値と贈与財産の価値との相関関係、死因贈与契約上の利害関係者間の身分関係その他の生活関係等に照らして負担の履行状況にもかかわらず、負担付死因贈与契約の全部又は一部の取消をすることがやむをえないと認められる特段の事情がない限り、民法一〇二二条の取消についての規定は準用すべきでないといえる。

2 ひるがえって、本件をみるに、死因贈与契約において、被告の負担とされているのが、契約成立日(平成三年一二月六日)から原告の生存中、責任をもって原告を介護することである。

《証拠略》によれば、原告が被告の妻の介護を受けていたのは、原告が平成五年八月一七日に戊田病院を退院するまでであり、それ以降は、原告の長男夫婦が原告の世話をするようになったことが認められる。

とすると、平成五年八月一七日までの被告夫婦の原告の介護をもって、負担の全部又はそれに類する程度の履行をしたといえるかが問題となる。

たしかに、前述したように、被告夫婦(特に被告の妻である甲野春子)は、約五年間にわたって原告と同居して、自分を犠牲にして原告を介護し、別居後も原告の世話をしていたものであり、右行為は高く評価すべきであるが、現在、原告は長男夫婦の世話を受け今後も右状態が長期間にわたって続くものといえることから、平成五年八月一七日までの被告夫婦の原告の介護をもって、負担の全部又はそれに類する程度の履行をしたとまではいうことはできないものといえる。

結局、本件死因贈与契約は、平成五年九月四日に原告によって取消されたものといえる。

3 本件死因贈与契約が取消され、右契約上の被告の負担が存在しない以上、被告は本件預金通帳等、本件印鑑、本件鍵、本件位牌を原告に返還すべき義務があるといえる。

三  よって、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容する。

(裁判官 小林元二)

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